早稲田大学理工学部助手、建設コンサルタント、シンクタンク勤務を経て、2022年7月、さいたま市浦和区に「合同会社価値づくり共働社(まちづくり会社)」を設立。
そして今年、さいたま市の価値を高めるために、さらに精力的に動きます!!
ごあいさつ:「まちづくり」のプロとして
大学院を出て自治体や国のまちづくりに取り組む
僕は大学時代から「まちづくり」に取組んできました。
早稲田大学の大学院を出た後は「基礎自治体(例えば「さいたま市」等)」のまちづくりに関する仕事を行ってきました。都市計画マスタープランを作成したり、まちづくりルールを策定したりしていました。この頃、実は「さいたま市観光振興ビジョン」を策定する仕事も行ったんですよ。
早稲田大学の教員だったこともあります。
その後、「国家のまちづくり」へと足場を移し、主に「住宅政策」や「災害まちづくり」に関する業務を行ってきました。現在は東日本大震災による原発被害を受けた自治体である福島県広野町(サッカー日本代表で有名になったJビレッジスタジアムがある町です)のお仕事をしています。
令和2年には東京都のお仕事で、「首都直下型地震が起こったときにどのような対応をすべきか」について検討し、取りまとめを行いました。
地元・浦和を守るために会社を設立
この仕事をきっかけに「僕はずっとさいたま市に住んでいるのに、さいたま市のためになる仕事をしていないな」という感情が溢れてきました。
もし僕が大手町勤務中に首都直下型地震が起きたら、浦和のまちは、さいたま市はどうなってしまうのか?
仲良くしている調自治会のおじいちゃん・おばあちゃん達の支援ができないじゃないか。
そう思うと居ても立っても居られなくなり、僕は2022年6月に前職を退職し、2022年7月に浦和で会社を立ち上げました。
子育て世代予備軍を含めた若い世代のことを考えたまちづくり
もうひとつ。
さいたま市のキャッチフレーズ「子育てするならさいたま市」に、僕も異論はありません。僕が浦和市・さいたま市を選んだのも「文教都市・浦和」に魅力を感じたからです。
ですが、まだまだ解決しなければいけない問題は残っています。
近年「コロナウィルス」にみんなが悩まされてきました。でも一番影響を受けているのは、実は若い世代です。
例えばワンルームの賃貸住宅に住んでいる単身者は「食事の場・睡眠の場・憩いの場」であるひとつの部屋で「オンライン会議(=仕事)」までしなければならなくなりました。
夫婦世帯であれば複数の部屋がある住宅に住むことができると思いますが、一人暮らし世帯にとって複数の部屋がある住宅に住むことはできません。
果たして今のさいたま市は、若い世代、特に単身者に「住み続けたい・結婚しても住み続けたい」と思ってもらえるまちなのでしょうか?
これまで、さいたま市においては「子育て世帯」や「高齢者」をターゲットにまちづくりを進めてきました。
これに「子育て世帯予備軍である単身者」をターゲットとするまちづくりを進めることで、あらゆる世代にとって生活しやすいさいたま市になります。 これまで脈々と受け継がれてきた「さいたま市の魅力」を守りながら、さらに広い視野を取り入れ、「さいたま市の価値を高めるまちづくり」を行っていきましょう。
官公庁 5 (内閣府、国交省、厚労省、経済産業庁、林野庁)
自治体 15 (さいたま市、東京都、日光市、高崎市、掛川市、本埜村(印西市)、広野町、大熊町、つくば市、台東区、江東区、港区、葛飾区、新宿区、横浜市、川崎市、大牟田市)
行政法人 1 (独立行政法人都市再生機構)
財団法人 2 (財団法人住宅リフォーム・紛争処理支援センター、公益財団法人日本住宅総合センター)
社団法人 7 (公益社団法人福島相双復興推進機構、公益社団法人さいたま観光国際協会、公益社団法人全国宅地建物取引業協会連合会、公益社団法人日本バス協会、一般社団法人住宅リフォーム推進協議会、一般社団法人住宅瑕疵担保責任保険協会、一般社団法人不動産流通経営協会)
その他団体 1 (全国商店街振興組合連合会)
民間企業 2
プロフィール
名前 赤松 ひろかず
生年月日 1971年6月10日
血液型 (Rh+)O型
家族 妻
趣味 ソフトボール(URAWA高砂SBCに所属)、野球観戦(主に巨人戦と西武戦)、ラグビー観戦(埼玉ワイルドナイツと大学ラグビー)、美術鑑賞(特に伊藤若冲がお気に入り)
所属団体など
・さいたま市スポーツ推進委員(浦和区)
・さいたま市ソフトボール協会(総務副委員長)
・浦和中ロータリクラブ(第2770地区第一グループ)
・浦和稲門会(早稲田大学OB会)
学歴・職歴
1990年3月 | 東海高等学校(名古屋市) 卒業 |
1996年3月 | 早稲田大学理工学部土木工学科 卒業 |
1998年3月 | 早稲田大学大学院理工学研究科建設工学(土木)専攻 修了 |
2000年4月 | 早稲田大学理工学部に助手として着任 |
2003年3月 | 早稲田大学理工学部を退職 |
2003年6月 | (株)トデック(建設コンサルタント)入社 |
2007年5月 | (株)トデックを退職 |
2007年6月 | (株)価値総合研究所(シンクタンク)入所 (日本政策投資銀行の子会社) |
2022年6月 | (株)価値総合研究所を退職 |
2022年7月 | 合同会社価値づくり共働社設立 代表社員 現在に至る |